放置系研究室/論文の研究倫理
タイトルは重いが、内容はただの愚痴である。
個人的な恨みを排除すると、極めてシンプルに、全く研究に関与していない人間がファーストオーサーとして論文を出した、という内容だ。
先日、研究室からメールが転送された。全部英語で、それでも見慣れた英単語が並んでいた。
開けたら、ある論文がレセプトされたという内容だった。
それは私と3つ上の先輩のデータを抱き合わせた、短い論文だった。
まず、研究で心を病んでいる人間のもとに研究関連のメールを送ってくるのもちょっと考えてほしかったが、教授も義務であろうし、喜ばしいことだからと送ってくれたのかもしれない。事実、自分のデータが世に出ることは、ちょっとだけ嬉しかった。
ただそれ以上に、あの再現性もクソもない怪しいデータを公にしてしまったということに、寒気がした。
もちろん、意図的に偽装したり、捏造したりなんてことはやっていない。純粋に集め、まとめたものだ。しかし、放置系研究室で実験指導もない中、追いつめられて泣きながら卒論のために何とか採った、そんなデータなのだ。信憑性などあるものか。
そして何より、ファーストオーサー。
筆頭著者は、実験には一切関与していない博士課程の先輩だった。
もう、悔しくてやるせなくて、思わず持っていたスマホをぶん投げてしまった。
なぜこんなにも心が荒んだかというと、次のような経緯がある。
学部生で、研究室に配属されたばかりの私。そのドクターの直属の後輩になり、新しく立ち上げたテーマを共同で研究することとなった。教授からは、先輩主導でやるから、教えてもらうようにと言われた。
しかし先輩は、ほとんど大学に来なかった。別に、心を病んでいたわけではない。留学生で、養わなければならない家族もいて、バイトに明け暮れていたのだ。
後から聞いた話では、その先輩はもともと大学にほとんど来ておらず、教授は後輩ができたらその態度が改まるのではないかと私をつけたのだという。もちろん私が選んだテーマが近かったというのもあるはずだが、修士の先輩からそんな話を聞いた。その先輩方は、件のドクターに後輩をつけるべきでないと、直談判してくださったという。その時の返答がそれだったらしい。つまり、皮肉なことに実験材料は私だったということになる。
研究室が始まってから、私は先輩をせっついたり、先行研究をあさったり、自分で手を動かしてみたりした。
でも、実験の約束をした日も、体調不良やらなんだかんだ理由をつけて先輩は来なかった。一度、朝に少し遅れるという連絡をもらってから夕方の5時まで待っても来なかった時があって、その時はブチギレて帰った。その1時間後くらいに、先輩が研究室に来たと同期から聞いた。
教授にも何度か現状を訴えて、お叱りを受けてちょっとだけ実験に来たこともあった。でも、それも1週間程度で終わり、先輩はまた来なくなった。
結局、ほとんど一緒に研究することなく、プログラムの関係で先輩は他大学に行ってしまった。
ここまでで、やっぱり私ももう少し自分で考えて行動すべきだったし、博士の先輩の手伝いという意識を改めるべきだったと思う。もっと論文も読めばよかった。自分で考えるということを、避けてしまっていたところがある。反省することは無限にある。
大学院生に学部生の指導を一任する教授も問題だ。それも、ほとんど大学に来ない人間に右も左もわからない学部生をつけるのは、指導放棄も良いところだ。
このように私にも教授にも非はあったのだが、これまでの経緯から、私は個人的に博士課程の先輩を特に恨むようになった。
その先輩は、大変人が良かった。滅多なことでは怒らないし、理不尽な命令をしてきたりはしなかった。むしろ、自分がやるから、君はやらなくて良いよ、というスタンスだった。ただ、それで先輩が実際に事に手を付けたか、というとそうでもない。しかし、それも悪気があるわけではない。
だから、私はそのドクターの人となりを恨んでいたわけではない。
“私の理想の博士像から逸脱したドクター”が憎らしかったのかもしれない。現に、当時私は同期に「先輩はクソ野郎ではないがクソドクター」と愚痴を振りまいていた。
つまるところ、先輩として過度に期待してしまっていた私の勝手な私怨なのだ。
それでも、やはり博士課程の先輩には研究をする姿を見せてほしかった。
その、憎たらしい、何もやっていないドクターが、私と別の先輩のデータを使って、論文発表。それもファーストオーサー。
この研究室に、研究倫理なんて存在しないのだと、2年半の間に幾度となく繰り返してきたわけだが、私はまたしても深く失望した。
本当はだいぶ前からわかっていたことだ。
その先輩は何もしていないだけに、卒業が危うい。すでにオーバードクターだ。卒業要件に2本、査読付き論文を出さなければならないが、これまで一本も出していない。出せるはずもない。
だから、先輩がファーストオーサーになることは、もっと前に私に伝えられていた。実験に使った資材の確認の時にだ。なんとしてでも彼を卒業させなくては。教授にはそんなニュアンスのこと言われた。それだったら、博士課程なんてやめさせてしまえばいいのに。実力もないのに博士号を背負って社会に出ていく先輩も不幸だ。
その時ももちろん落胆したのだけど、心のどこかできっとリジェクトされるだろうと思っていた。
それがこの度、レセプトされた。
個人的な感情ではものすごく悔しいし、昨今重視されてきている研究倫理なんてどこの岩場に打ち捨ててきたというのか。
以上、ただの愚痴。